カラーチョークの魔法
中学校。放課後。誰もいない空っぽの教室。丁度良く傾いた夕日からの赤い輝き。青臭い程に美しいと、誰かは言うのだろう。雄々しき青春の一ページだと、誰かは心に刻むのだろう。無論、わたしにそんな気は更々ないけど。
誰かがわたしのことを、変わった子だと言った。風変りな、何を考えているか分らない、真面目で陰気な女の子だと。それは絶対に違う、間違ってる。わたしはこの現実というものと上手く付き合っていくスキルを持ち合わせていないだけなのだと思う。物心ついた頃から世界が嫌いで、逃げ出したくて、それでも消えてなくなることなんて不可能だから本当の自分を隠しているんだと思う。逃げ隠れする、卑怯な確信犯だと笑ってもらってもいいんだけど。
「アハハハハ」
本当に笑われた。今まで本に伏せていた視線を上げると、黒板の前に同じクラスの桑原さんが白チョークを左手に握りしめて立っていた。接点という接点もなく、今までろくに会話をしたこともない。桑原さんはこっちを見ようともせず、ただ棒読み口調で笑い続けた。
「ねぇ、やめてくれない? つかいつから居たの?」
「わたしが此処に来たのはあなたが長い独り言を喋り始める前よ。全部全部ぜーんぶ、声に出てたよ鈴浦琴羅さん。笑っていいっていったのはあなたよ。だから笑ったの。わたしは悪くないわ」
そう言って桑原さんは棒読み口調で笑い続ける。笑い続ける、笑う、笑う、笑い続ける。変な子、気持ち悪い。これ以上付き合うのも面倒で、桑原さんがここを動く気配を見せない以上わたしが取るべき行動は一つ。わたしは自分の椅子から立ち上がり、読みかけの本にしおりを挟んで教室を出た。否、出ようとした。桑原さんは突然雷に打たれたかのように動き出し、握りしめた白チョークを力任せに、チョークが黒板に削られるくらい力任せに、振り上げて何かを書き始めた。
「ねぇ鈴浦琴羅さん。青春って何だと思う?」
それは突然の問いかけだった。その言葉で初めて、彼女の書きなぐっていく文字が最終的には“青春”という文字になるのだろうと推測する。削られた白チョークの粉が、ひらひらと舞うように落ちていく。青春の“青”を書き終えた桑原さんは、初めてわたしをその焦げ茶の瞳でぎょろりという効果音がぴったりの眼差しで凝視する。
まともに直視したのは初めての桑原さんの瞳は、瞬きすることなくわたしを貫き、その迫力に何かを感じたのか、右足が勝手に一歩彼女から遠のいた。
「――は?」
「さっき言ってたわ。雄々しき青春の一ページだと、誰かは心に刻むのだろう。独り言でね。
でもあなたは独り言のつもりでも実際わたしの耳にしっかりばっちりちゃっかり届いちゃってたんだから独り言と定義するのは少し無理があるかもしれないけど、まぁ置いておくことにするわ。
あなたは青春という言葉を使ったわ。普通人間が言葉を使うときは、その言葉の意味を完全に理解していると認識しているときよ。まぁ勘違いってこともあるけどこの際どっちでもいいの。
わたしは青春という言葉の意味を理解したくてしたくて仕方がないからあなたに質問することにしたの。繰り返すけど、青春って何だと思う?」
「――夢・野望に満ち、疲れを知らない若い時代」
「辞書の言葉を丸呑みしたようなくだらない回答ありがとう」
バレた。元々国語のワークの語句チェックにたまたま「青春」ってあったからそれ
覚えてただけだし、たぶんこんなにも貪欲に青春という言葉の意味を求める桑原さん
もまた、その答えを覚えていたのだろう。勿論、それが正しくないということも。
桑原さんはまた黒板に向きなおり、春という文字を書き始める。
「わたしたちの今を、大人は勝手に青春っていうくだらない名称をつけて呼びたがるのよ。
青春ってそもそも何なの? 勉強頑張れば青春? 運動部に入ったら青春? 友達っていう囲いの中でくだらない話をずっと続ければ青春なの?
意味が分らないわ」
書きながら喋り続ける桑原さんの言葉、その表情。それを見て、わたしは初めて理
解する。この子、桑原さんもたぶんわたしと同じなんだろう。現実と上手く付き合え
る方法を知らない。そもそも意地悪で気分屋な現実がわたしたちに教えてくれなかっ
ただけなのに。でもわたしには本の世界があった。疲れたら逃げ込める、受け入れて
くれる世界があった。でもその世界が、桑原さんにはないんだろう。
“青春”と大胆な書体で黒板の半分以上は占領しているであろうその言葉を書き終えた桑原さんは、またわたしを見る。わたしは静かに口を開く。言うべき言葉は、ま
だ見つからないけど。
「仮定一、青春は全ての人間に平等に与えられない。仮定二、そもそもわたしたちは青春という言葉の意味も定義も知らない。仮定三、わたしたちは似た者同士である。
以上三つの仮定から求められる結論を述べよ」
桑原さんは少し驚いたような顔をして、それからにっこり笑って持っていた白チョ
ークをゴミ箱に投げ入れた。丸い軌跡を描いて、ナイスシュート。
「簡単ね。簡単よ、とってもイージーな質問ね。でも嫌いじゃないわ。寧ろ大好きよ。答えは――わたしたち、とってもいいお友達になれる。あなたはどう思う?」
「わたしもそう思う、って言ったら?」
「嬉しい、って言ったら?」
それ以上の言葉は必要無かった。二つの世界が、わたしと桑原真仔の世界が、重な
って触れ合って、少しだけすれ違って、色を染め合う。わたしの白と、桑原さんの白
が重なって――生まれた色はたぶん、青という名前。
皮肉にも、それは青春を表す色に似ていた。
「あのさ、青春っていったら青だよね?」
「青春の一歩手前を水色と表してそれをテーマにした少女漫画がそれなりに世間の支持を得ているんだから、青春は青でいいと思うわ」
「…………」
どこまで勤勉なんだ。いや、自分の興味を持った知識に貪欲なのか。まぁとりあえ
ず桑原さんも肯定してくれたことだし、とわたしは青いチョークを握りしめる。不思
議そうな桑原さんに、まぁ見ててと声を掛けてから書き始める。
青春の前に反抗の“反”の文字。青春の後に“同盟”という言葉。
反青春同盟。ちなみに今思いついた。
そして使命を果たした青いチョークを、ごめんねと心の中で呟いてから二つに折る。二つに分かれた不揃いな青いチョークの内、一つを桑原さんの手に押し付けた。
「じゃあま、これからよろしく、桑原さん」
「これは何かのおまじないか何かなの? そんなロマンチストだとは初めて知ったわ」
「まぁね。今ネットで話題のお互いがお互いの片割れのチョークを持ち続けていれば、切っても切れない永遠の友情で結ばれるおまじない。大流行中、知らなかった?」
嘘だ。
「へぇそうなの。知らなかったわ。さっそく今日帰ったら調べてみなくちゃ。どうもありがとう」
納得された。
「わたしとしたことが見逃してたわ。青春にありがちなおまじないというものは、もう大方ネットでは調べつくしたと思ってたのに」
てか絶対わざとだ。
「鈴浦さん、このおまじないは何ていう名前?」
てか楽しんでるよね、桑原さん。まぁこれからも色々ありそうだけど、本以外の世界と繋がってみるのも悪くないと思える自分がいた。たぶんそれは、桑原さんも。
「ん? カラーチョークの魔法」
(written by 華南)